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決めた事 [心に思うこと]

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フキノトウって 小さな白い花がぎっしり集まって咲くんだね

今頃知ったのかオマイは( ̄- ̄;)・・・いくつだ? オマイは何歳じゃ===!

もうすぐ52歳だよ(爆

52歳っていう年齢は マヤ歴では還暦らしく
第二の人生の始まりの歳、人生のリスタートということらしい
(ちなみに、52歳の半分の26歳も 人生の転換期にあたる年齢のようです)


だからというわけではないけれど
不快に感じる人もいるかもしれないので以下たたみます

ずーーっと縫い物しながら、斎藤一人さんの講演会をユーチューブで聞いていた
自分なりに考え続けていたことがあった

それで最近ようやく、「もう、愚痴や不平不満を聴くのはやめよう」・・・と思って
もちろんそこには自分も含まれる、言うのはやめようということだ

ただし、〝辛くてどうしようもなくて、吐きだすことによって何か突破口をつかみたい”
というような気持ちでもって言いたいのであれば、真剣に聴こう

ストレス解消とか、憂さ晴らし、垂れ流しは 聞く耳持たずでいこう。。。と。

以前は不平不満とか愚痴を聞くことで、相手の心が少しでも楽になるなら
それはいいことだって思ってた
でも今、そう思えなくなった私がいる

斎藤一人さんのお話や、中村天風さんとカリアッパ師との対話や自分の考えの
三つ巴?で 書くと

愚痴や不平不満を言っても いいことなんて一つもない
むしろ言うと、また同じように言いたくなる出来事が起きてくる
言う方も聞かされる方も楽しくないし、幸せな気持ちにはならない
言う方は多少スッキリするかもしれないけど、聞かされる方は辛い

「それを言って楽しいか?」「そういう風に言ってお前は気持ちが良いか?」
「痛い痛いというのがいけないんじゃない、それは当たり前だ
重要なのはそれから後だ」
「寒い、熱い、痛い、ということは構わない、それは現実に対する表現だ。
それに対してお前は付け加えなくてもいいことを、しょっちゅう付け加えているじゃないか」

毎日毎日くだらない人事や世話にせわしく働き、その言葉を汚し、自分も他人も
悪くするような言葉のみを使っているのが普通の人間だ、
真理を探究しているものがそういう考えを持つことは、非常に恥ずかしい事だ。」

「それを自分が人に知らせて歩いて、人までそんな気持ちにさせていい気持ちなのか?」
自分自身の気持ちを自分自身でもっとにこやかにしたらどうだいと、
カリアッパ師は天風に教えたのだ。

愚痴や不平不満を聴いても、それは一時的に気持ちが軽くなるだけで
相変わらずまた似たようなことを聴かされる、無限ループみたいな現実
何も変わらない、それじゃ意味がない

同じ時間を共有するなら、楽しく過ごしたいし、お互いのためになることを話したい

愚痴や不平不満を話すより、どうして不平不満が出てくるのか?
自分の中のどんな考えでそういう愚痴が出てしまうのか?
そういう事について一緒に考える、話し合う方がずっとまし
それならお互いの気付きにも繋がっていくことだから

単なる愚痴や不平不満の垂れ流しを聴くために
自分がいるわけじゃないし、相手がいるわけじゃないから

これからは聴くことも言うこともやめようということに 思い至った
もっと自分が成長したら、また聴くことをよしとするのかもしれない
でも今の自分はそうじゃない

ただそれをどんなふうに相手に伝えるか、そこが難しいかもしれないな
突き放されたと感じるかもしれないし、関係にひびが入るかも知れない
でもそれも お互いにとっての学びになると思う

これも「嫌われる勇気」のうちに入るのかな


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