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心と体のケア [読書]

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肩凝りをほぐすのに リンパケアというのをやっています
さとう式リンパケア 

ブログを読ませてもらって なんとなくよさげだと思ったのでしばらく試してみるつもり

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縫い物を休む間、そのうち読もうと思って忘れていた本を出してきた
本屋さんで見かけても スルーしてた本だったんだけど
ふとしたきっかけでブログを読み始めて気に行っちゃった 

心が風になる


今日はこれから久しぶりに歯医者さんなのだ
麻酔いっぱいかけられて(効き目が薄い体質ゆえ)ガリガリ削られるんだろうな~オソロスイー


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受けて立つ [読書]

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手作り調味料とか色々と作るのは楽しみでもあって
食事の支度もまあ、嫌いじゃない

最近買った本

こういう本を読むのは自虐的?
病気が怖くて 安全な食生活を心掛けてるとか
私にはそんな意識はあんまりない
知識を得ることで恐れが生まれるどころか

むしろ

「やったるでーーー!!」(怪奇炎~ゴ~

的なノリになるので
モチベーションを維持するにはもってこいの本なのです
これらの本に書かれてあることが事実なのかは分からないけど
でも、案外やってそうだなとは思うのです

私があれこれ食に手間をかけるのは
ひとえに、エネルギーを高める、あるいは無駄に消費しないためであって
家族の健康とかはたぶん二の次(爆

ずーーーっとエネルギーについて考えてる
精神的、肉体的にもバランスが取れてる状態を目指して
なんか頑張るところ間違ってないか?と思う時もあるけどね

引きこもりのような状態を淡々と続けて
そのうえここ10日はベジタリアンな生活ちう~
肉や魚はほとんど食べてないせいか
草食動物のように穏やかになってます(ほんとかーーー?
腸内環境を整えるためのベジタリアン生活ですので
そのうち肉を食べるようになるでしょうが

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今日買い出しの帰りに本屋さんに寄ったら
うっかり衝動買いしてしまった本2冊、1冊はAmazon・・・・

食に興味のあるうちは こういう食に関する本を読み漁るんだろうな
それから石井ゆかりさんの星栞
星占いは全然興味がないのだけど、この人の星占いだけは別物なのだ
あたしにとって(笑
文字数が半端ない
読むと元気になるからってのが一番の理由

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なんと珍しくDVDを買った、雪アナは息子が買うと言うので
飽きたら売ってもらおうなどど企んでいる(笑う

レンタルになってなさそうだったので中古で探したらあった
〝地球少女アルジュナ”
ネットで見られるんだけど、うちのPCは
音声がぶつぶつ途切れて画面はフリーズ(それで買いに踏み切ったのだが
これも食とか環境とか精神とかに関連があって
今の私にぴったりなアニメかも知れない。。。。(怪奇炎再び、みたいな?

何を食べるかなんて それぞれの自由なので
自分の口に入れる物と、否応なく私の作ったものを食べさせられる家族の
食事に対してしか責任は取れない
だから私は『選択』するだけ
何を食べるか、どんなふうに調理するか、そしてそれが楽しい


「嫌われる勇気」を読みながら・2 [読書]

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(電子レンジのほこりよけ)

転載開始*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....

我々は「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです
他者の期待を満たす必要はないのです
他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には
他人の人生を生きることになります

承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であって欲しい」という
期待をなぞって生きていくことになる
つまり、本当の自分を捨てて、他者の人生を生きる事になる

そして覚えておいてください
もしあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」としたら
他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです
相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても怒ってはいけません
それが当たり前なのです

他者から承認してもらおうとするとき、ほぼすべての人は
「他者の期待を満たすこと」をその手段とします
適切な行動をとったら褒めて貰える、という賞罰教育の流れに沿って

*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....

「これは誰の課題なのか?」という観点

子供が勉強するのかしないのか、本来これは「子供の課題」であって
親の課題ではありません
そこに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して
いわば土足で踏み込むような行為です
これでは衝突を避けることは出来ないでしょう
われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から
自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです
他者の課題には踏み込まない、それだけです

およそ、あらゆる対人関係のトラブルは
ー他者の課題に土足で踏み込むことー、あるいは
ー自分の課題に土足で踏み込まれる事ー
によって引き起こされます
課題の分離が出来るだけで対人関係は激変するでしょう

誰の課題かを見分ける方法
「その選択によってもたらされる結果を最終的に引き受けるのは誰か?」
を考えて下さい
(※放任主義を奨励するものではない、本人の課題であることを伝え
いつでも援助する用意があることを伝えておき、見守ると言う事)

貴方の期待や信頼に対して、相手がどう動くかは他者の課題なのです

*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....転載終了

本を読んで、自分にとって役に立つのはこの二つかと思う点を書いてみた
これを落とし込めれば、すごく楽になる気がする(今が苦しいってことじゃないよ)
自分を楽にさせて安定していることが常になると
ちょとしたことでは感情がブレなくなる、そうすっと
自分が相手にとっても心地よい場となる・・・・と思うのだ(←一石二鳥的な?

「承認欲求を手放しなさい」ということは
色んな本に書かれてあるけど、それを手放せないでいる時は
出来ない時は出来ないから無理しないーでいる方がいいような気がする
なんとなく(←無責任な

承認欲求っていうのは、突き詰めれば最終的には
自分に自分を認めて貰いたかったんだ、自分が自分を認めたかったんだと
そんなところにたどり着くような気がするのだ(私の場合
だからほんとは他人からの承認なんて必要ないんだろうなと思ってる

他者の期待を満たすためにいきているわけじゃなくて
他者も自分の期待を満たすために生きているわけじゃない
これがちゃんと腑に落ちていれば
相手がどう反応するかどう思うかは相手の課題であって相手が決める事なんだ
自分の思い通りにならなくて当たり前なんだってことがわかっていれば
落胆するようなことがあっても受け入れられそうだ
こうすべきだ、であるべきだという信念が緩んで
お互いに自由でいられるようになるんじゃないかと思う

アドラー心理学では「全ての悩みは対人関係の悩みである」と言う
発端は全部そこから派生してるような気がすると私も思う


[嫌われる勇気」を読みながら・1 [読書]

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「嫌われる勇気」を一度読んで、また読み返しながら
自分の心に触れた部分を少しずつ取り上げてみようと思う

心理学は、ユングとかフロイトが有名で、アドラーなんて人がいたのは知らなかったけど
前者は原因論に対し、後者は目的論
青年と哲人の対話という物語形式で書かれてあるので堅苦しさはさほど感じず読めると思う

原因論といえば「トラウマ」って思い浮かぶけど、アドラー心理学ではそれを否定する
では目的論というのはなに?

例えば引きこもりについて例を挙げていたのはこう

掲載開始*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....
アドラー心理学では過去の「原因」ではなく、今の「目的」を考えます
ご友人は「不安だから外に出られない」のではありません、順番は逆で
「外に出たくないから、不安と言う感情を作りだしている」と考えるのです。
つまり、「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として
不安や恐怖といった感情をこしらえてるのです。
アドラー心理学ではこれを「目的論」と呼びます。

いわゆるトラウマの議論などは原因論の典型です。

「いかなる経験もそれ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない
我々は自分の経験によるショックーいわゆるトラウマーに苦しむのではなく
経験の中から目的にかなうものを見つけ出す
自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって
自らを決定するのである」と
掲載終了*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....

抜き出した部分の掲載だけではよくわからないと思うけどr(^^;)

過去にこういう原因があって、今こうなっている
全く同じ体験をしたとしても、みんなが同じ結果になるわけじゃないことを考えると
原因が理由じゃなくて、自分がそう選択したんだっていうことになるのかな

まだよく呑み込めてないけど、原因論じゃなくて目的論で考えるようにしたら
何か自分の捉え方に変化があらわれるかな?
トラウマは変われない理由じゃない・・・何かの誰かのせいにしてるのと同じことだもの

過去の出来ごとに、その時はそういう決定を下したかもしれない
過去の事実は変えられないけど、それに対して今違う意味を与えることは出来ると思うから

原因論にしがみついていたら、要するに先に進めないってことなのかな
目的があってそうしてるとするなら、目的なら自分自身で変えられる
変われないんじゃなく変わらないと決めている
変わらないことを目的にしてるってことなのかな

ま、急に目的論と言われても、何をどう考えるかまださっぱり分かってない(笑
でも、なんか心に新鮮な考えが触れたのは確かだ

今の自分が不満だから変わりたい、それで本を読んでる訳じゃないんだけど
自分に変化を促すことで、もっと色んな表現が出来るんじゃないか
今目の前にあるものを、違った感性で見ることができるんじゃないか
とか、そういうことなの

今日はここまで。。。


方向性 [読書]

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久しぶりに本を読みたくて 昨日買ってきた本

http://ryuseizan.tsuvasa.com/11248

『嫌われる勇気』について、↑ こちらのサイトさんの記事を読んで
これからの自分の方向性にとても近い感覚のような気がして即買い
今2冊目(下の写真)の本を読んでる最中です
(内容は2冊ともなんとなく共通する部分が多い)
何度か読み込んでから、自分の考えてることを交えて、のちに書いてみようかな

※自分の中でまだモヤモヤと形にならない思いがあって
しばらくはコメント欄を閉じたまま記事を書いていきたいと思っています


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